「初期齲蝕の診査における探針使用の考え方」
調査報告書
1998年6月

日本ヘルスケア歯科研究会 健診における探針使用問題小委員会


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■本調査報告について

 本調査の意図は、「本調査の目的」に述べるとおりですが、回答および調査結果検討会において、私たちが慣れ親しんできた齲蝕治療のあり方を顧みることなく探針による診査の要不要を論ずる傾向が依然として色濃く残っていた点に、私たちは注目しています。概念としては、カリオロジーを理解し得たとしても、とくに疾病治療を毎日の仕事としている私たちは、病態が進行する側面ばかりを過剰に印象づけられる傾向にあり、疾病の自然史を見誤る傾きがあります。かつて齲蝕予防におけるフッ化物の有効性が議論された時、「齲蝕とはどのような疾患なのか」「その疾患は、どのように発症を防止し、治療すべきか」という基本的な論点がないがしろにされ、すなわち議論の目的や比較検討すべき事柄を曖昧にしたまま、フッ化物の有効性や有害性が議論されたことは記憶に新しいところです。専門家こそが、このような落とし穴に陥りやすいのでしょう。

 大多数の回答者が「健診における探針の使用に問題がある」と考え、その事実を教育しており、修復をもって齲蝕の治療とする考えに批判的であるにもかかわらず、この問題にはなお研究が必要であり、診療においてはもちろん、健診の現場においてもなお、探針による精査を行っているという矛盾は、この問題の根の深さを感じさせます。

 私たちは、探針の使用の是非という狭い論点ではなく、それを齲蝕治療のあり方を問い直し、健康な歯を守り育てる歯科医療・保健のあり方を再検討する契機として、継続的に問題提起を行ってまいります。大学の各講座、専門学会、専門歯科医師団体において、学校歯科保健、学生教育における齲蝕治療教育、齲蝕という疾患の基本的な治療概念について、新しい発想で議論いただくことを切に望みます。

 中間報告の送付後、回答をお寄せいただいた方々に呼びかけ、調査結果検討会(5月24日・東京)を開催し、短い時間ながらいくつかの貴重なご意見をうかがうことができました。同検討会には、本研究会科学顧問でルンド大学のダグラス・ブラッタール教授、ダン・エリクソン助教授にもご参加いただきコメントを頂戴しました。同検討会の報告を兼ねて本調査の結果を以下にまとめました。先生方の教育・研究の現場において、齲蝕治療のあり方を問い直す契機として、参考にしていただければ幸いです。<目次に戻る


■ 本調査の目的

 カリエスのない永久歯列を守り育てることは、歯科医療の専門家の最も重要な使命のひとつであると私たちは考えています。しかしながら、カリエスフリーの人は、統計的に見ると12歳児で10数%に過ぎず、30歳代では限りなくゼロに近く、臨床実感では当然のことながら、さらに口腔内は劣悪な状態です。歯科大学の入学定員削減を検討するほどに歯科医師数は充足し、歯科医療の現場では最新のさまざまなテクノロジーが導入されており、国民の健康観も非常に高くなっています。それにもかかわらず、国民の大半が、人生の後半に多くの歯を失い、不自由な生活を送っているのが現実です。ここには何か大きな間違いがあると考えざるを得ません。

 私たち自身、齲蝕は「いったん発症したならば、不可逆的に進行する」疾患であるという固定観念をもっておりましたが、改めて齲蝕の疫学・病因論を学び直し、カリオロジーを踏まえて臨床に取り組みますと、初期の齲蝕が十分にコントロールすることができる疾患であることを体験的に学ぶことができました。多くの臨床例で、平滑面のホワイトスポットや齲蝕が疑われる小窩裂溝の多くは、エナメル質の再石灰化を促すアプローチによって、齲窩に至ることがむしろ稀であることを臨床的に経験しております。その結果、極めて高い確率で、カリエスのない永久歯列を育てることができるようになりました。

 このように地道な臨床を重ねておりますと、観察下にある学童・生徒が学校歯科健診を契機に、修復治療を促される現実に遭遇いたします。学校歯科医としての経験から、多くの学校歯科医が本来しなければならない学校保健教育の指導・助言をないがしろに、齲蝕の治療勧告をしている問題にも直面しました。他ならぬ学校歯科健診が、齲蝕のない永久歯列を育てる上で大きな障害となっていることに気づかされるのです。

 長年の経過観察から、初期エナメル齲蝕病変に対して歯質の削除と充填処置を急ぐことが、患者の将来の健康にとって大きなマイナスになることを痛感いたしております。青少年期の修復処置は、治療のやり直しを繰り返すことにつながり、結果的に歯の喪失を早めています。

 こうした問題から、学校歯科健診の齲蝕の判定基準に「要観察歯(CO)」が設けられたわけですが、現状ではその趣旨は徹底していません。「要観察歯(CO)」という判定基準を設けながら、「学校保健法施行規則」には要観察歯の判定方法として「歯科用探針により歯面を触知すること」と明記されています。健診の現場においては、初期齲蝕の診査に探針が使用され、COがしばしば誤って治療を勧められ、その結果病変の停止あるいは改善が十分可能な子どもたちのエナメル質が、ことごとく充填あるいは歯冠修復される現実がつづいています。率直に言えば要観察歯の再石灰化療法において、最も大きな脅威となっているのは、他ならぬ学校歯科健診における劣悪な診査環境下での探針を使用した診査と治療勧告です。本来、組織に不可逆的な侵襲を加える診査方法は、集団のスクリーニングに用いるべき手段ではないと考えられます。いったんこのような診査でエナメル表層が破壊された場合には、必然的に塞あるいは修復が必要になります。加療に直結する検査は、本来診療機関においてなされるべきものではないでしょうか。

 私どもは「疑わしきは修復せず」という「要観察歯(CO)」の趣旨が、学校歯科健診において生かされることを望んでおります。また健診の趣旨はスクリーニングであり「加療」を目的としたものではないではないため、組織に侵襲を与える危険性の高い検査や治療の勧告は、健診の趣旨を逸脱するものと考えております。このような問題を文部省、日本学校歯科医会、各々の学校歯科医にご理解いただくことを求めます。

 齲蝕のない永久歯列を育てるためには、さまざまな課題が山積しており、健診時の探針の使用の問題を解決すれば子どもの歯の状態が著しく改善するというわけではありませんが、私たちは改善すべきことは躊躇なく改善すべきだと考えています。また、健診時の探針使用を廃止することは、早期発見・早期修復というこれまでの齲蝕治療の考え方を改める契機になるものと思われます。

 初期齲蝕に対して修復を前提とした組織侵襲的な診査法を用い、早期修復を促している現状に対し、専門家の方々が専門家の責任において何らかの明確な意思表示あるいは研究への取り組みをなされることを願って止みません。

 そこで歯科医師教育と齲蝕予防・治療の専門家であり、斯界のコンセンサスの形成に重要な役割をもつ先生方に、基本的なお考えと現状についてお尋ねする調査を行いました。<目次に戻る


■ 調査結果

 この調査は、全国29歯学部・歯科大学の保存修復学系、小児歯科学系、口腔衛生学系(予防歯科学)講座の教授・助教授・講師の方々306人を対象としました。調査用紙を、対象の方々の勤務先に3月26日に各々郵送し、発送から約2週間後の4月10日にいったん集計しました。中間集計の回収総数は、75件(回収率24.5%)でした。中間集計の結果と若干のコメントを中間報告として4月15日に調査対象者306人に郵送し、重ねて調査へのご協力を要請しました。

 また、調査協力者全員に調査結果検討会開催のご案内を送付し、5月24日に回答者の内十数人、その他本会会員40人余りの参加を得て、検討会を開催しました。

 5月20日時点までに回収した94件(回収率30.7%)の単純集計結果を次に示します。

ご質問と回答集計

調査票送付先 306件
29歯科大学・歯学部の保存修復学系・小児歯科学系・予防歯科(口腔衛生・衛生)学系
3 講座の教授・助教授・講師
有効回答 94件(5月20日締切)
保存修復学系:33件、小児歯科学系:27件、予防歯科学系:34件
調査方法 個人宛に調査票を郵送

●この問題についての関心

1. 1960年代後半から歯科用探針による診査がエナメル表層を破壊し齲蝕を誘発する可能性があるとする研究が報告され、米国歯科医師会(ADA)はJADA(1995)において探針の使用に警告を発していますが、ご存知ですか。

例:Begman and Linden(1969), Backer Driks(1966), Loesche et al. (1979), 小澤ら(1990), Barbakow et al. (1991)

2. 探針の使用は診断の信頼性向上につながらないとする研究が報告されていますが、ご存知ですか?

例:Lussi(1990), Penning et al. (1992)

●この問題についてのお考え

3. 平成6年12月に改正された「学校保健法施行規則」において、要観察歯の判定方法として歯科用探針により歯面を触知することが明記されています。集団を対象とした齲蝕のスクリーニングにおける歯科用探針の使用についてどのようにお考えですか?

4. 視診のみでは入口が小さく深い裂溝の診査はできないとする意見がありますが、健診は探針を用いず非侵襲的に行うべきだと私どもは考えています。
5. 初期齲蝕の診断器具として歯科用探針は信頼に足るとお考えですか?
6. 探針を用いない裂溝の診査では、隠れた齲蝕を見逃すおそれがありますが、私たちは、疑わしいケースは診療室での予防歯科的アプローチに委ねるべきだと考えています。いかがですか?
7. 探針を用いた診査は、健診で行うべきではなく、シーラントや充填を前提とした診療室における処置行為の一環として行われるべきもの、という見解に対してどうお考えですか?
8. 健診の結果から治療が勧告されていますが、修復をもって治療完了とすることを改め、患児の齲蝕の病因の診断とその改善におもきを置くべきだと考えますが、いかがですか?

●教育・健診の現状について

9. 齲蝕診査における探針使用には、再石灰化の可能性のあるエナメル質および象牙質を破壊する危険があることを教育または指導されていますか?

10. 健診あるいはフィールドでの齲蝕調査で鋭利な探針を使われていますか?
11. 診療の場において、齲蝕が疑われる部位の診査に探針を用いますか?

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■調査協力者のさまざまなご意見

 集団を対象とした齲蝕のスクリーニングに探針を用いる理由について、プラークや食物残渣で歯面が確認できないことが多いので、それを除去するために探針を用いざるを得ないとする意見が、非常に多く(約20件)あった。数件ではあるが、コンポジットレジン充填の確認、充填との歯面との境界部の診査に、探針を使うとしている。一方、コンポジットレジン充填を視認できない現状の学校歯科健診の診査環境を批判した意見もあり、まず口腔内を診査できる光源を確保するなどの診査環境の整備が必要であり、現状ではまともな診査ができていないとする記述が多かった(約10件)。「十分な照明」「十分な診査時間」「咬合面の清掃具」が必要だという見解は、ほぼ共通の意見のように思われる。なかには診査になっていない学校歯科健診そのものを中止し、新たな目的を設定すべきであるとする意見もあった(3件)。また、診査前にブラッシングをさせることで探針を用いずに診査精度を上げているという意見もあった。

 また、視診によって十分に診査しうるとする見解も多く見られ、探針を用いず視診によるとしても歯質を破壊的に治療する傾向を改めることが必要だとするご指摘があった。

 齲蝕も歯肉炎も多発しているので、現状ではスクリーニング自体の意味がないとする意見も数件、その多くはフッ化物を用いた公衆衛生的な方法によって、齲蝕の発生率そのものをまず下げるべきだとしている。

 以上、探針の問題以前に、学校歯科健診そのものに問題が多いとする見解とそのために探針を本来とは別の目的で用いているとするコメントが特徴的であった。このような見解のなかには、現状の使用法では、探針が組織破壊的に働くことは少ないとする判断が読みとれた。また探針の使い方について、触診圧をコントロールすることで、弊害は避けられるとするものも少なくなかった(約10件)。道具は、使い方だというご意見である。触診圧については、200g以下と記入されている方や30gまでと記入されている方があった。

 調査用紙にお手紙を添えて、この調査そのものについての批判的なあるいは好意的なご意見を下さった方も数人あった。そこでは出来高払いの保険制度、フッ化物の利用の遅れ、集団スクリーニング環境の劣悪さ、小児をめぐる食生活環境の問題など、齲蝕を誘発するリスク要因が多すぎるので、探針の使用如何は火急の課題ではないとする見解が読みとれた。同様に出来高払いの保険制度のため、再石灰化療法よりもシーラント処置を進めざるを得ないという現状認識を述べたもの、医療経済全体の問題を考えなければならないとするご意見などがあった。<目次に戻る

■ 回答の概略

● 探針の「為害性」と「無効性」について

初期齲蝕の診査における探針の「為害性」についての認識を尋ねた設問(設問1)では、大半の回答者が「為害性」に関する文献に「関心をもっている」かあるいは「承知している」としている。なお回答の選択肢が択一的でなかったため重複して回答した方が数人いたため、回答総数は回答者数を上回っている。探針の「為害性」に対する関心とは対照的に「探針が診査の信頼性向上につながらない」とするLussi(1990)、Penning et al.(1992)の文献(設問2)についてはあまり知られていない。あるいは評価されていないのかもしれない。しかし、初期齲蝕の診査における探針の信頼性(設問5)については同じ回答者の多くが、信頼性は低いと回答している。

● 健診における探針使用についての考え方

学校歯科健診における探針の使用(設問3)については、不可欠であるとする回答者はゼロであった。他に方法がないとする回答者の多くも、プラークや食物残渣を除去しなければ視診ができないとする添え書きが多く、健診における探針の使用を廃止する方向性には、ほぼコンセンサスができているとみることができる。ただし、信頼に足る診査方法がないことが問題であり、「研究が必要」とする回答が回答者の約44%を占めた。探針の信頼性(設問5)について多くの回答者が疑問を持っていることとあわせて、探針に代わるスクリーニング方法について回答者が積極的に研究に取り組まれることが期待される。なお、ディスカッションにおいて光学的な診査方法について若干のコメントがあった。また検診時の探針使用を「廃止する方向で検討」および「早急に改めるべき」であるとした回答は41人に及んだ。「研究が必要である」とした回答と若干の重複回答が含まれる。

深い裂溝の診査についても探針を用いないとする考えに、回答者の56%の方が賛同しており、探針を用いないと健診の意味がなくなると回答した方は、わずか2人にすぎない。

「裂溝齲蝕を見逃すおそれがあるとしても、疑わしいケースは診療室での予防歯科的アプローチに委ねるべきだ」とする見解(設問6)に対しては、69人(回答者の77.5%)が「賛成」と答えた。「予防歯科的アプローチ「を「小児歯科的」と書き直した方もおり、この回答にはシーラントも含まれるとみるべきだろう。探針を用いた診査は、診療室における処置行為の一環」とする見解(設問7)に対しても、62人(70.4%)の回答者が「賛成」としている。設問4から7の回答では、小児歯科の回答者の傾向が他の二分野とは若干異なる。小児歯科系では、小窩裂溝の診査に探針を用いないとする人より、「どちらとも言えない」とする回答者が多かった。探針の信頼性についても「信頼性は低い」とする人と「他に方法がない」と回答した人の数にほとんど差がなかった。ふだん対象としている小児の口腔内の印象が反映した結果なのだろうか。

現在、学校歯科健診では、「C」と認めた児童・生徒に受診を勧め、歯科医師による治療完了を確認する方法がとられている。要観察歯の扱いについては、自治体により違いが見られ、「学校保健法施行規則」の改正の趣旨は必ずしも徹底していない。自治体によっては、要観察歯という規準を採用していないケースも見られる。また要観察となった場合の診療機関での対処方法に、明確で有効なガイドラインがない。しかし「健診を治療勧告につなげ、修復をもって治療完了としている現状」(設問8)に対しては、大多数の回答者(有効回答の89%)が、病因の診断とその改善におもきを置くべきだとする見解に賛成している。

● 教育と健診の現状

探針の為害性についての教育(設問9)は、67人(回答者の77.9%)が「教育している」とし、教育内容を改めたいとした回答者を合わせると回答者の95%に達した。本調査の回答率が対象者の30%であるとはいえ、学生教育に当たる方々が「探針は再石灰化の可能性のある歯質を破壊する危険があることを教育する」という見解で一致していると言っていいだろう。しかし教育では弊害が教えられているにもかかわらず、多くの人が現実には健診現場(設問10)で探針を使用している(回答者の41.3%)。健診やフィールドでの探針使用については、「できるだけ使わない」と「使っていない」の二つを合わせても51人(58.6%)である。診療(設問11)においては、探針を使用するとした回答が圧倒的多数であった。<目次に戻る

■ 調査結果検討会の発言から

● 発言から

 調査結果検討会は、ディスカッションに十分な時間がなく、また初対面の方が多いこともあって、調査に対する回答から踏み込んだ意見を聞くことはほとんどできなかった。運営の方法について、十分反省し、今後に生かしたい。いくつかの発言を紹介するにとどめる。

  • なぜ、どのようなとき、探針をもってみたいと感じたか、それを考えてみてはどうだろうか。
  • 暗がりで探針をもってひっかかりを探るという診査には大きな問題があるが、照明が十分あったとして も、カリオロジーを踏まえた診査でなければ、同じではないだろうか。
  • 健診の場でC2程度でオブザベーションできると判断しても、その後に受診したドクターがどう対応するかが問題で、広い意味で齲蝕の治療のあり方についてコンセンサスをつくる必要がある。
  • 自分は探針を使わないが、その理由は視診の方がよくわかるから。
  • トレーの上にミラーと探針があり、左手にミラー、右手に探針を持つことがインプリンティングされている。その先にカリオロジーはない。
  • 学校歯科健診の結果を見ると、あまりにも検診結果に間違いが多い。
  • 探針の問題は、まだ科学的に見て不十分なところがある。制度を変えてゆくには、もう少し研究の裏付けが必要だと思う。

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